
要約
新約聖書にはクリスチャンに対するタトゥーの明確な禁止命令はありません。レビ記 19:28の禁止は、歴史的には異教の儀式に関連したものでした。現代のクリスチャンにとって、これは「クリスチャンの自由」の領域にある問題ですが、聖書はそれを「良心」「他者への愛(つまずきを与えないか)」「神の栄光(福音の証しとなるか)」という観点から吟味するよう求めています(第一コリント 10:31)。
現代の多くの社会において、タトゥー(入れ墨)は特殊な文化から一般的なものへと移行しました。かつては反逆や社会的不適合と密接に結びついていましたが、今では年齢層、職業、文化を問わず一般的になっています。この文化的な変化は、クリスチャンにとって必然的に一つの神学的な問いを投げかけます。聖書はタトゥーの習慣を許可しているのか、禁止しているのか、あるいはそれについて何か意味のある指針を与えているのでしょうか?
新約聖書の沈黙とクリスチャンの自由
新約聖書には、タトゥーに関する直接的な命令はありません。明確な禁止もなければ、推奨もありません。この沈黙は偶然ではなく、無関心を意味するものでもありません。むしろ、この問いを「クリスチャンの自由」に関する新約聖書のより広い倫理的枠組みの中に置いているのです。
パウロはローマ人への手紙 14やコリント人への手紙第一 8から10章において、これに匹敵する問題を取り上げています。そこで扱われているのは、本質的に罪ではないものの、文脈、動機、結果によって霊的な意味を持ちうる実践についてです。ローマ 14で、パウロは食事の規定や聖なる日といった事柄を、律法ではなく「良心」の問題として扱っています。


