
要約
ピリピ人への手紙 2における「すべての名にまさる名」とは、新しい個人的な名前のことではなく、「主(キュリオス)」という称号を指しています。これは、イエスが十字架の死に至るまでの従順を通して、神と同等の権威と主権を公に認められたことを意味します。つまり、イエスを「主」と告白することは、彼に神としての礼拝と服従を捧げることを意味します(ピリピ 2:11)。
現代の読者は、ピリピ人への手紙 2:9-11を、単なる格調高い賛歌や名誉の宣言として読むことがよくあります。しかし、パウロの言葉は装飾的でも抽象的でもありません。神がイエスを高く上げ、「すべての名にまさる名」を与えられたと語るとき、この箇所は新しい個人的な名前を紹介しているわけではありません。むしろ、イエスの従順の重要性を、権威、礼拝、そして神による承認という言葉を通して解釈しているのです。その「名」は、神の救いの計画におけるイエスのアイデンティティと役割に対する、神学的な評決(判決)として機能しています。
従順の型と神による立証
パウロはこの主張を、謙遜への呼びかけというより広い文脈の中に置いています。ピリピ 2:6-9は、イエスが神の御姿であられるにもかかわらず、神と等しくあることを自分の利益として固守しようとはされなかった方として描いています。その代わりに、これらの節は意図的な「自己の無化(ケノーシス)」を描写しています。それは神性を失うことではなく、地位の放棄でした。人の姿をとり、しもべの役割を引き受けることで、イエスは想像しうる最も低い社会的・存在的地位に入り、十字架の死に至るまで従順でした。この箇所で描かれる十字架は、自発的な従順の極致を表しています。


